2012年9月26日水曜日

正論に便乗して何か言った気になっている人達

 そして正論じゃない相手には言葉を選ばない人達。

Twitterでも実世界でもよく見ますけど、何なんでしょうね?ああいうの。

 理性や正論ではどうにもならないほど追い詰められている人間の事なんて想像もできない、いやそもそも「想像力」というものを「無根拠」「非理性的」と馬鹿にしているのではないか。

 自分はなにもしないのに、「ソース出せ」とだけ書き込んでおけば優位に立った気になれる?
 ああいう人達って、結局当事者の抱えている問題とかどうでも良くて、旬の話題を肴に、自分が言説()論戦()で優位に立ちたいために正論で暴れ回る蛮族そのものだと思っています。
野蛮ですよ、(想像力を持つ)人間なのに人間を想像しないんだから。
その想像が見当違いでもまったく構わないのです。他人を想うという営みが重要であり、誤解と訂正を積み重ねて、初めて強固な結び付きが完成するのではないでしょうか。

「客観的」なものしか信用出来ないなら人間を辞めていただくしかない。

 インターネット上に限ってそういう人間の例を挙げるならば、デマとかオカルトとかニセ科学とか情報弱者とか失言とかを目の敵にして、インターネット上でそれらの論説の「撃墜数」を発表するタイプの悪趣味な人間が代表格ですね。
(ちょっと狭い類型かも知れませんが……)
そういう人達って会話のたびに根拠やソースを確認するのでしょうか。
いちいち言質を確保しようとしてくる人間って怖ろしいのですが。
そもそも、デマや失言が悪いのはそんなの大前提で、それを踏まえた上で、どうして当事者がそれを発信するに至ったかが大事なのに、「デマは悪!失言を拾われるのが嫌だったらネットで発信するな!」に終始するんですもの。

それで二言目には、自分が被害を被るわけでもないのに(少しの間不快になるだけ)、「インターネットは全世界に発信されているんだから発信の際には責任感を持て」という正論で相手をとっちめた気になってるの。人間の感情を侮っているというか、人間自体バカにしている。
無知であったり、解っていても抑えられない感情があったりしての人間ではないのでしょうか。
(当然、その失言やデマの被害者であったりする場合には話が違ってきますが。)
この手の人達って、観客席から無責任な野次を飛ばすオッサンを想像してしまいます。

 いちいち発言に責任感とか客観性とか要求されても辟易する一方です。
理性や正しさで万人が救えて、万人が考えを改めると思ったら大間違いですね。
もっとも、想像力や優しさにも同じ事が言えるのですが、それでもコミュニケーションしたいと思うなら、誤解を恐れずに相手と向きあって、間違ってしまったら素直に過ちを認めて、それを繰り返すのが一番なのではないでしょうか。

「正しさ」と「優しさ」を対比させてあるのがこの話の肝です。

あーすっきりした!
アルバイト行ってきます。

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