インターネットで恐怖心の克服を試みる奴の数
ホラー系フリーゲームを続々とクリアしたのを切欠に、何度目か解らないホラーブームが到来しています。
といっても、洒落怖やオカ板系まとめサイトを巡る程度ですが。
新しい話を収集したり、何度か読んだ有名な話を読み返したり内に気づいたのですが、どうやら恐怖を感じる対象が変わってきたように思います。
いや、変わったというより、これまで怖くなかった話に恐怖を感じる様になった、という方が正確です。
以前までは、「本当に怖いのは人間」というどこかで知った様な紋切型の言葉への反発もあり、そういうタイプの怪談(霊的存在や怪異が出てこない)に興味を惹かれる事はあっても恐怖を感じることはなく、
「そうは言っても、物理的にも色々限界がある人間とそうでない存在とじゃ恐怖は段違いだよな。テレポをアビリティに標準セットしてる相手じゃ布団被って丸まってるしかないだろ常識的に考えて……それすら無効な場合もあるけど」などと考えていました。
しかし今では、以前まではまともだった身内や友達が理不尽に狂う系の話が何よりも怖いです。
その原因の所在は、今年1月初頭の、私の身内の入院騒動まで遡ります。
詳細は書いたらいけない気がするので書きませんが、20年と少しの間一緒に生活していた相手が豹変し、こちらの言葉が一切通じず恨み言と苦労話を繰り返す姿は、本当に何かが憑いたのではないかと思わされる程に鬼気迫るものでした。
実際にはこれまで服用していた抑鬱剤が効きすぎて異常な躁状態になった、というのが原因だったのですが(確かに2ヶ月ほど前からやたらと積極的で金遣いも荒かった。同じ様な状態に陥ったことは以前にも1,2回あった。)、目付きも言動も何もかもが狂人のそれで、人間なんて薬か絶望のどちらか一つで簡単に全てを捨ててしまえるものだなと思わされました。
(主治医も父親も言及しませんが、私は更年期障害の時期と重なったのも原因だと想像しています。)
過去の幸福の蓄積も何もかも、頭を壊す薬と、そして他人には窺い知れない絶望の前には無いも同然。
どんなに言葉を尽くして説得しても、泣き喚くばかりで全く話が通じない。
どういう訳か、自分の妄想を確かな未来の出来事だと思い込み、身内に殺されるという話をその身内がいる前で平気でする。
泣きたくなるような理不尽さと、身内が変貌した恐怖でしばらくは何も楽しめませんでした。
入院が決まった時は心の底から安堵しました。
その安堵は、これで快方に向かってくれるという希望が生じた事と、恐怖の対象が去ってくれた安心の入り混じったものでした。
「本当に怖いのは人間」
この言葉は何を隠そう、その入院した身内が多用していた言葉でした。
でも私が怖かったのは、その発言者だったのです。
皮肉を感じます。
私にとっての皮肉は、真の恐怖は画面の中ではなく自分のすぐ近くにあった事、その身内にとっての皮肉は、自分の言葉を自分で体現してみせた事です。
入院する少し前の話です。
朝起きても身内の様子は変わらず、寝室で一睡もしていないであろう目を煌々と輝かせながら横になっていました。
私は寝室に近付く気が起きず、自分の部屋で震えながらインターネットをしていました。
うっかり声を掛けようものなら20分は拘束されて、頭のおかしい話を延々と聞かされる羽目になるのは間違いなかったので、極力部屋から出ませんでした。
朝、人の少ないTwitterでその様子をpostして何とか気を紛らわせていました。
寝室で今寝ているのはその身内ではなく、何か得体の知れない存在のような気がして。
とうとう自分にもこういう状況が訪れた、いや、訪れてしまった。
これからどうしよう、本当に一家心中するしかないのか。そんな事を考えていました。
その時、突如として私の携帯電話が鳴りました。
私はその時点で察しがつき、恐怖で震えながら電話に出て寝室に向かいました。
身内の枕元には、数カ月前に父親が買い与えた折りたたみ式携帯電話が置いてありました。
それからはご想像の通りです。
話そのものよりも、変わってしまった身内を直視させられるのが本当に、今思い返しても思い返したくない位辛かったです。
もっとも、親しい人がある日突然変わってしまうというのは珍しくもない経験だとは思いますが……
皆こういう経験すら乗り越えてまで生きているのか、と思うと、そこまでして生きる必要があるのかと思います。
ここまでして生きる必要があるのか。
人生に絶望して、狂ってしまって、呪詛をまき散らしてまで生きる必要はあるのか?
2012年が始まってから10ヶ月、ずっとその事を考えていました。
それでも、いずれ時間が解決してくれる事もある。今までだってそうだった。
流れに身を任せていれば、最善の解決は得られなくとも解決自体は出来た。
欲張らずに持久戦に持ち込むのが私の得意技、というかそれしか出来ないので、今回も内心の不安を隠し「もう少し様子を見るしかない」を繰り返して、今年の春と夏をやり過ごしました。
あれから9ヶ月経った今は、一度の退院と再入院を経て、ようやく落ち着いて話が出来るまでに回復しました。折角の休日を母の見舞いで半日潰す父親には本当に頭が下がります。
それでもまだまだ問題(本人の名誉のため書き残しませんが)は山積みで、これからも薬を調節して欝や躁に振り切れない様に注意する必要があり、その事を考えると、とうとう自分が当事者になってしまった事を考えると今から気が重いです。
やっぱり書き残すべきことでは無いのでしょう。でもどこかに吐き出さないと、胸のあたりがマンガ表現の黒いゴチャゴチャみたいな塊で満たされて自分まで狂いそうになるので、そのゴチャゴチャが溜まってくる度にこうして吐き出しています。
文中の「身内」が家族内の誰を指すのかは、本文を読めば解るようになっています。
ただ何となく、本人のために特定したくなかっただけです。
まぁTwitterには散々書いたので今更ですが……
少し大袈裟な話になりすぎたとは思います。
とにかく、新しい価値観というのは、PCの画面を睨んでいるだけではそうそう産まれてこないものだなと実感させられました。辛い経験になりましたが。
この話は取り敢えずここで終わります。次に身内の話をするときには明るい話が出来るはずです(空元気)。
実はどうしても書けなかった事があります。
騒動の当時、弟が観たという夢の話です。家族4人しか登場人物は居なかったそうです。
私はそれを弟から聞かされた時、 しばらく震えが止まりませんでした。
客観的に見れば大した内容ではなく、文にするとあっさりしたものですが、その時の状況を鑑みるとあまりにもリアルで、今まで見聞きしたどんな怪談よりも背筋が凍りつきました。
まるで予知夢のような気がして、弟はその日、夢に出てきた家の中の場所に足を踏み入れなかったそうです。
言葉にするのが怖いので、その夢の内容は私と弟が墓場まで持って行こうと思います。
といっても、洒落怖やオカ板系まとめサイトを巡る程度ですが。
新しい話を収集したり、何度か読んだ有名な話を読み返したり内に気づいたのですが、どうやら恐怖を感じる対象が変わってきたように思います。
いや、変わったというより、これまで怖くなかった話に恐怖を感じる様になった、という方が正確です。
以前までは、「本当に怖いのは人間」というどこかで知った様な紋切型の言葉への反発もあり、そういうタイプの怪談(霊的存在や怪異が出てこない)に興味を惹かれる事はあっても恐怖を感じることはなく、
「そうは言っても、物理的にも色々限界がある人間とそうでない存在とじゃ恐怖は段違いだよな。テレポをアビリティに標準セットしてる相手じゃ布団被って丸まってるしかないだろ常識的に考えて……それすら無効な場合もあるけど」などと考えていました。
しかし今では、以前まではまともだった身内や友達が理不尽に狂う系の話が何よりも怖いです。
その原因の所在は、今年1月初頭の、私の身内の入院騒動まで遡ります。
詳細は書いたらいけない気がするので書きませんが、20年と少しの間一緒に生活していた相手が豹変し、こちらの言葉が一切通じず恨み言と苦労話を繰り返す姿は、本当に何かが憑いたのではないかと思わされる程に鬼気迫るものでした。
実際にはこれまで服用していた抑鬱剤が効きすぎて異常な躁状態になった、というのが原因だったのですが(確かに2ヶ月ほど前からやたらと積極的で金遣いも荒かった。同じ様な状態に陥ったことは以前にも1,2回あった。)、目付きも言動も何もかもが狂人のそれで、人間なんて薬か絶望のどちらか一つで簡単に全てを捨ててしまえるものだなと思わされました。
(主治医も父親も言及しませんが、私は更年期障害の時期と重なったのも原因だと想像しています。)
過去の幸福の蓄積も何もかも、頭を壊す薬と、そして他人には窺い知れない絶望の前には無いも同然。
どんなに言葉を尽くして説得しても、泣き喚くばかりで全く話が通じない。
どういう訳か、自分の妄想を確かな未来の出来事だと思い込み、身内に殺されるという話をその身内がいる前で平気でする。
泣きたくなるような理不尽さと、身内が変貌した恐怖でしばらくは何も楽しめませんでした。
入院が決まった時は心の底から安堵しました。
その安堵は、これで快方に向かってくれるという希望が生じた事と、恐怖の対象が去ってくれた安心の入り混じったものでした。
「本当に怖いのは人間」
この言葉は何を隠そう、その入院した身内が多用していた言葉でした。
でも私が怖かったのは、その発言者だったのです。
皮肉を感じます。
私にとっての皮肉は、真の恐怖は画面の中ではなく自分のすぐ近くにあった事、その身内にとっての皮肉は、自分の言葉を自分で体現してみせた事です。
入院する少し前の話です。
朝起きても身内の様子は変わらず、寝室で一睡もしていないであろう目を煌々と輝かせながら横になっていました。
私は寝室に近付く気が起きず、自分の部屋で震えながらインターネットをしていました。
うっかり声を掛けようものなら20分は拘束されて、頭のおかしい話を延々と聞かされる羽目になるのは間違いなかったので、極力部屋から出ませんでした。
朝、人の少ないTwitterでその様子をpostして何とか気を紛らわせていました。
寝室で今寝ているのはその身内ではなく、何か得体の知れない存在のような気がして。
とうとう自分にもこういう状況が訪れた、いや、訪れてしまった。
これからどうしよう、本当に一家心中するしかないのか。そんな事を考えていました。
その時、突如として私の携帯電話が鳴りました。
私はその時点で察しがつき、恐怖で震えながら電話に出て寝室に向かいました。
身内の枕元には、数カ月前に父親が買い与えた折りたたみ式携帯電話が置いてありました。
それからはご想像の通りです。
話そのものよりも、変わってしまった身内を直視させられるのが本当に、今思い返しても思い返したくない位辛かったです。
もっとも、親しい人がある日突然変わってしまうというのは珍しくもない経験だとは思いますが……
皆こういう経験すら乗り越えてまで生きているのか、と思うと、そこまでして生きる必要があるのかと思います。
ここまでして生きる必要があるのか。
人生に絶望して、狂ってしまって、呪詛をまき散らしてまで生きる必要はあるのか?
2012年が始まってから10ヶ月、ずっとその事を考えていました。
それでも、いずれ時間が解決してくれる事もある。今までだってそうだった。
流れに身を任せていれば、最善の解決は得られなくとも解決自体は出来た。
欲張らずに持久戦に持ち込むのが私の得意技、というかそれしか出来ないので、今回も内心の不安を隠し「もう少し様子を見るしかない」を繰り返して、今年の春と夏をやり過ごしました。
あれから9ヶ月経った今は、一度の退院と再入院を経て、ようやく落ち着いて話が出来るまでに回復しました。折角の休日を母の見舞いで半日潰す父親には本当に頭が下がります。
それでもまだまだ問題(本人の名誉のため書き残しませんが)は山積みで、これからも薬を調節して欝や躁に振り切れない様に注意する必要があり、その事を考えると、とうとう自分が当事者になってしまった事を考えると今から気が重いです。
やっぱり書き残すべきことでは無いのでしょう。でもどこかに吐き出さないと、胸のあたりがマンガ表現の黒いゴチャゴチャみたいな塊で満たされて自分まで狂いそうになるので、そのゴチャゴチャが溜まってくる度にこうして吐き出しています。
文中の「身内」が家族内の誰を指すのかは、本文を読めば解るようになっています。
ただ何となく、本人のために特定したくなかっただけです。
まぁTwitterには散々書いたので今更ですが……
少し大袈裟な話になりすぎたとは思います。
とにかく、新しい価値観というのは、PCの画面を睨んでいるだけではそうそう産まれてこないものだなと実感させられました。辛い経験になりましたが。
この話は取り敢えずここで終わります。次に身内の話をするときには明るい話が出来るはずです(空元気)。
実はどうしても書けなかった事があります。
騒動の当時、弟が観たという夢の話です。家族4人しか登場人物は居なかったそうです。
私はそれを弟から聞かされた時、 しばらく震えが止まりませんでした。
客観的に見れば大した内容ではなく、文にするとあっさりしたものですが、その時の状況を鑑みるとあまりにもリアルで、今まで見聞きしたどんな怪談よりも背筋が凍りつきました。
まるで予知夢のような気がして、弟はその日、夢に出てきた家の中の場所に足を踏み入れなかったそうです。
言葉にするのが怖いので、その夢の内容は私と弟が墓場まで持って行こうと思います。
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